下着の歴史

現在日本には色々な下着がありますね。靴下、パンツ、ブラジャー、Tシャツ、スパッツなどなど、用途に合わせた下着が数多く存在していて、私たちは毎日その中から気分や機能を考えて下着を選ぶわけです。ブラジャー1つとってみても、形を良く見せたい人用、大きくしたい人用、小さくしたい人用、ワイヤーのあり・なし、寝るとき専用など、多種多様です。今や男性用のブラジャーだって販売されています。中には下着なんて着けない!という猛者もいるかもしれませんが、そういった人は稀でしょう。ほぼすべての人が毎日下着と何等かの関わりを持っているはずです。また、上記の下着とは別に、日本では独自の進化を遂げてきた下着があります。それらの歴史を追うことで日本の下着の歴史が分かります。このページでは、私たちが普段使っている下着がどのように進化してきたのかをまとめたいと思います。

肌着とファンデーションの違い

下着とは、外衣・中衣の下に着用する衣服のことを言います。インナーとも呼ばれています。和服の重ね着の場合は内側に着用する衣服を下着と言います。下着には先述したように様々な種類があります。パンツに靴下にブラジャーにと様々です。そんな下着のなかでも、上の服を汗などの身体の汚れから守り、体温を一定に保ち、快適に過ごすため、さらに肌を衛生的に保つために肌に直接着ける下着を「肌着」と言います。パンツや靴下やシャツは肌着に分類されます。一方、ブラジャーやガードルなど、女子の体形を美しく整えるための下着は、直接肌に着けるものでも肌着ではなく「ファンデーション」に分類されます。ファンデーションは基礎衣類を意味する英語の「foundation garment」の略で、補正のための下着を意味しています。衣類を着用したとき、衣類がピッタリしたものだと身体のラインが外部から分かりますが、このように外見に現れる衣類のシルエットを美しく整える目的で使われます。女性用が主ですが、近年では男性用のブラジャーも販売されています。

下着の歴史

人類は古代から下着を着用していたと考えられています。最初の下着は布を腰に巻き付けただけのものでした。とはいえ、古代の下着にも2種類あり、紐で腰に結び付けて股の下を通し、後ろで紐に通し固定した褌型のものと、胴回りに幾度も巻き付けてピンや細いベルトで止める腰巻型のものがありました。下着の上に数枚の衣服を重ね着する地方もありましたが、多くの古代文明ではこのような下着が唯一の衣服でした。また、男性だけでなく女性もこのような下着を着用していたことが分かっています。古代ギリシアと古代ローマ帝国では、ローブのように胸から垂らした布により下着を隠し、落ちないようにピンや金具で支えていたとされています。また多くのローマ帝国の人々は、この時酢でに尻と股を隠す現在のショーツによく似た下着を着用していました。

コッドピースの流行とシャツの登場

中世ヨーロッパでは、毛や麻などの目の荒い織物から、柔らかい面などの平織りの素材で服が作られるようになり、ゆったりとしたデザインの衣服が流行します。この時の下着は「ブライズ」と呼ばれるもので、腰と太ももで紐を固定する薄手のズボンでした。しかし、ブライズの上に何か服を着ることはなかったため、厳密には下着とは言えないかもしれません。ブライズの前面には、ボタンや紐で留められる窓があり、脱がずにここを通して男性は排泄できるようになっていました。この窓は徐々に男性の魅力を増すために装飾されていき、「コッドピース」と呼ばれるようになります。イギリスのヘンリー8世は、局部を際立たせるために詰め物を入れることを考案したとされています。このアンバランスな流行は、16世紀末まで続きました。また現在シャツと呼ばれている前ボタンで身につけられる男性用の上衣も、中世からルネッサンス期にかけて考案されました。当初は下着として使われており、膝まで丈があってズボンの中に入れこんで下履きを兼ねて着用していました。ワイシャツの裾のラインがカーブしているのはその名残です。

ユニオンスーツの登場

18世紀に入ると、プランテーションによる綿花の増産が出来るようになり、また自動機織機が開発されたりして、安価な綿布製品を大量生産することが出来るようになりました。家で手工業として作られたものではなく、工場で大量生産された下着を店で買うと言うことが出来るようになったのはこの時代からでした。19世紀に入ると、男性、女性、子供問わず一般的な下着は「ユニオンスーツ」に変わります。ユニオンスーツとは手首から足首まで覆うジャンプスーツのような上下つながったタイプの下着です。これには着たまま排泄できるように、後ろに大き目の窓が付いていました。20世紀の初頭には下着市場は飽和状態になり、競争から様々な工夫や機能が生まれます。現在でも下着大手のヘインズ社は、この競争を勝ち抜いた会社の1つであり、ユニオンスーツの最大手となりました。紡績技術も進化を続け、1着のユニオンスーツを1時間未満で作れるようになります。1910年代後半には、カルマーズ紡績会社がユニオンスーツを上下の2枚に分けることを考案し、事実上、アンダーシャツとズロースを発明します。段々とユニオンスーツは廃れていき、第一次世界大戦に従軍した兵士たちには、前でボタンで留めた短パンが下着として支給されました。ボタンは紐に引っ掛けて固定するようになっており、両脇の結び目でずり落ちないように調整する仕組みになっていました。このデザインは流行し、ユニオンスーツは凋落を迎えることになります。また、この時期にはレーヨンの合成法が開発され、レーヨンが下着にも使われるようになりました。

改良された男性下着

1930年代に入ると、男性向け下着は新たな発明と改良が進みます。1935年1月19日、シカゴのクーパー株式会社の手により、ジョッキーと名付けられた世界初の「ブリーフ」が売り出されます。ボタンや紐の代わりにゴムが腰回りに使われるようになり、プロボクサー選手が身に着ける短いズボンに似た「ボクサーショーツ」も広く売り出されるようになりました。また、スコーヴィル社がスナップファスナーを開発し、下着に広く死闘されるようになります。第二次世界大戦中には、ゴムや金属が戦略物資となったため、一時的に紐とボタンの下着へと戻りますが、戦後には再びゴムの下着へと戻ります。1950年代には、白のみだった下着にプリント柄や赤や黒のものが売り出されるようになります。ファッション性も理解されるようになり、様々な試みがなされるようになりました。レーヨンやダクロン、ナイロンのような化学繊維が広く試されました。

女性用下着の歴史

中世の女性は身体に密着するアンダードレスとブライズのような下着を着用していました。時にはシフトと呼ばれる綿製の下着をアンダードレスの下に身に着けることもありましたが、後の時代になるまで一般的ではありませんでした。ルネサンス期の女性のスカートはふっくらと傘のように広がっているのが流行で、ドレスの下にはファーティンゲールというスカートを支えるフレーム枠付きの下着を身に着けていました。16世紀の終わりには、スカートのボリュームは女性の身体の倍以上に広がり、歩道の通行が困難になるほどでした。マリー・アントワネットの衣装を想像すると分かりやすいと思います。

コルセットの誕生

19世紀の女性はステイズと呼ばれる下着を身に着けるようになります。これは後ろから身に着け、胴の前に紐で止める下着でした。初めは一枚の布だったステイズは、1750年代から1760年代にかけてスタイルを保つために厚めの布で作られるようになり、「コルセット」と呼ばれるようになりました。染色技術の発達により様々な色が使えるようになりますが、女性の下着は白が一般的でした。19世紀に入ってもコルセットは貴族階級の間で使われており、より体を拘束するようなデザインに代わって行きます。細い腰が美の象徴とされ、鯨の骨や鋼鉄がコルセットに縫い込まれ、人の手を借りて締めあげるものが広く用いられるようになりました。このコルセットは着用時に苦痛を伴うことがおおく、また血行不良や酸素不足からてんかんの発作、内臓に重い障害を負う女性もいました。これらの後期型のコルセットは胸を覆う丈に作られておらず、腰の細さを際立たせるために胸の下で終わっていて、コルセットの上に胸が乗るようになっていました。20世紀に入っても下着は以前コルセットが使われていましたが、化学繊維やより強靭な布が織られるようになり、鯨の骨や鋼鉄を使う必要はなくなりました。

女性下着の革命

それまで苦しくて着脱も大変なコルセットを使ってきた女性下着の世界に、突如革命が起こります。1913年にメリー・フェルプス・ヤコブが「ブラジャー」を開発したのです。メリー・ヤコブは薄手のドレスの下のコルセットから突き出ている鯨の骨を隠すため、2枚のハンカチをリボンで結び、ブラジャーを作りました。手作業で家族や友人のために作っていたのですが、あっという間に下着の噂は広まり、1914年には特許を申請してアメリカ中にブラジャーの販売網を広げたのです。1910年代の終わりごろには、アメリア・ジェンクス・ブルマーの手により、男性用のショートパンツに似た下着、「ブルマー」が発明されます。この頃のブルマーはズボンのように足首まで覆うデザインでした。ギブソンガールズと呼ばれる男性と同じように自転車やテニスのようなスポーツを楽しむ活動的な女性たちの間でブルマーは大流行しました。コルセットは時代遅れとなり、鉄が戦略資源として統制された第一次世界大戦がコルセットに止めを刺しました。1920年代になると、ブルマーは短くなり、新しく発明されたストッキングが足を覆う役割を果たすようになります。ゆったりとしたデザインが主流になり、1920年代の終わりには足回りが広いことを除けば、現在のパンチに近いデザインとなっていきました。社交ダンスが流行すると、ストッキングがずり落ちるのを防ぐためにガーターベルトが発明されます。また、下着がただ隠すことを目的にしたものから、女性の魅力を引き立たせる意味が理解され、「ランジェリー」という新たな下着の文化が確立しました。1930年代にはコルセットは「ガードル」として生まれ変わり、ブラジャーやガーターベルトと共に身に着けられるようになりました。

現在の下着

1970年代から1980年代の間にファッションとしての下着市場は成熟を迎えます。マンドンナやシンディ・ローパーといった1980年代のセレブリティは、下着をファッションの一部として露出させ有名になりました。1980年代にはサンバで知られるブラジルで、Tバックが流行します。1990年代には世界中に広まり、初めから見せることを考えて作られた下着が広まって行きました。Tバックは日本でもサンバブームやディスコの影響で流行したのですが、下着本来の持つ保湿性や身体のサポートといった側面が薄く、また国民性の違いもあって一般的に広まったとは言えませんでした。現在、女性用下着の素材としては従来から使用されてきた綿、キルティング地、アクリル厚地など、比較的厚手のものに留まらず、薄地アンゴラ地、アイクロテンセルなど比較的薄くてかつ温かさを保てるものも使用されるようになってきています。色のバリエーションが増えただけでなく、タンクトップ、タートルネック、三分袖、半袖など形も袖の長さも豊富になってきています。一方男性用下着は、女性用の下着に比べるとトレンドよりは保湿性や通気性と言った機能性が重視されることが多かったのですが、1990年代にファッション性も兼ね備えたボクサーブリーフというブリーフとボクサーショーツの特徴を併せ持った下着が売り出されました。これは紳士服が従来のユッタリしたシルエットから、細身になったことが一つの要因で、10代後半~30代の若い男性に着用されています。

こだわりの褌

    日本の下着、色々。